卒業式で「仰げば尊し」を歌わせることの違和感。
こんにちわ。
コロンボです。
今回は、全く季節はずれではありますが、卒業式で歌われる歌の定番、「仰げば尊し」について書いてみたいと思います。
最近、学校の先生による不祥事や事件などがよく報道されていますよね。
近いところでは、カレーを同僚教師の顔になすりつけるといった教師同士のイジメがありました。
また、その他にも様々な不祥事が明らかになっていて、例をあげれば枚挙にいとまがない現状になっています。
昔から、教師はよく聖職だとも言われますが、もちろん普通の人間であり、労働者であり、すべてをなげうってまで子どものために力を尽くす、というのは難しい時代になってきていますけれど、それでも子どもに教えたり、指導したりする仕事であることには変わりなく、そのためには子どものお手本になり、また子どもに尊敬される人間である必要は少なからずあると思うのです。
で、ふと思ったのが、今でも卒業式には「仰げば尊し」を歌っているのかなぁ、ってことです。
仰げば尊しの出だしの歌詞は、
”♪ 仰げば尊し、我が師の恩・・・”
となっています。
僕が子どもの頃にはこの歌を歌うことに何の疑問もなく、当たり前のことだったと思うのですが、考えてみればおかしな感じですよね。
僕の子どもの頃って、卒業式で歌う歌は、はじめから先生たちによって決められていたし、自分たちで決めるシステムなんてありませんでした。
とすると、先生たちが子供たちに対して、「俺(私)たちは尊いんだよ」という歌を歌わせていたことになります。
今更ながら、なんて傲慢な!って感じです。
最近では、子どもたちが卒業にふさわしい歌を決める流れが多くなってきているようで、流行りの曲なども含めて、いわゆる卒業式ソングは多岐に渡っているようです。でも、それこそが正しい決め方であり、本来の形だろうと思いますね。
そんな決め方の中で、あえて「仰げば尊し」が選ばれたならば、それはそれでとても素晴らしいことだと思います。
もちろん「仰げば尊し」は素晴らしい歌であることは間違いありません。そして、子どもたちに歌わせるのではなく、歌ってもらえれば先生としてこれほどうれしいことはないでしょう。
近頃の、教師の質が非常に問題視されているご時世、卒業式に「仰げば尊し」を子どもたちに歌ってもらえるような、そんな先生、そんな学校が多くなればいいのにな、と思います。
ではまた~☕
※この記事は産経新聞2019年11月29日(金)朝刊のコラム「言葉のひと解き」(清湖口敏氏)を読んで触発されて書きました。
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