映画『ラッキー』~すべては無(ナッシング)に帰る。しかしそこに人生の輝きを感じずにはいられない!
こんにちわ。
コロンボです。
今回は映画「ラッキー」を観ました。
海外映画ではなぜか多い、偏屈おやじ映画(こんなジャンルあるんかどうか知らんけど(^^;))です(笑)
基本情報
- 邦題 ラッキー
- 原題 LUCKY
- 製作 2017年 アメリカ 88分
- 監督 ジョン・キャロル・リンチ
- キャスト ハリー・ディーン・スタントン、デヴィッド・リンチ
- ジャンル ヒューマンドラマ
ストーリー
90歳のラッキーは、毎朝起きてたばこを吸い、カフェでクロスワードパズルをやりながらコーヒーを飲み、雑貨店でたばこを買った後、家でクイズ番組を見る。そして夜はバーで酒を飲む。
そんな生活を繰り返していたが、ある朝加齢のために倒れてしまう。
偏屈で、一人暮らしではあるが、、孤独ではない。そう言う彼ではあったが、彼の心には次第に、死・孤独などに対する「怖い・・・」という思いが宿りはじめる。
感想など
主役のラッキーを演じているのは、映画「パリ・テキサス」(ヴィム・ヴェンダース監督)などにも主演した名優ハリー・ディーン・スタントンだ。
老人ではあるが、迫力と渋みのある彼の演技がこの映画を支えているようにも思う。
彼のセリフの中で、「孤独と一人暮らしとは違う」というのがあるが、確かに彼は小さな町の中で、周囲のみんなとかかわりながら生きている。
そして、みんなが彼のことを気遣ってもいる。一種のセーフティーネットのようなものだろう。
ある朝に「彼が倒れたこと」、「衰えた肉体」など、人生の終焉が近いことを連想させるシーンも多いが、その反面、この映画を観ていると、人生の輝きのようなものを感じ取ることができる、と思った。
途中で語られる、戦争体験やそのときに見た少女の「輝くような笑顔」、そして10歳の少年の誕生パーティーでみた家族の愛など、生きることの素晴らしさと意味を、問いかけると同時に語っているかのようにも思えるのだ。
また、この映画の本質は、会話ではないだろうか、とも思う。会話の内容も意味深で含みがあって、すべてが必要な言葉であると感じるし、またその会話の間(ま)、というか行間にも大きな意味を感じてしまうんですね。
監督
この映画の監督は、映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」でマクドナルド兄弟の兄役をしたジョン・キャロル・リンチだ。なるほど、彼はこんないい映画を撮るんですね~
音楽も秀逸
この映画の中に挿入される、ハーモニカの曲(赤い川の谷間)が非常に哀愁を誘う。(この曲はアメリカのフォークソングらしい)
また、カントリーソングもいい効果を出している。
また、10歳の男の子の誕生パーティーで、ラッキーが突然スパニッシュで歌いだすんだけど、なぜかその曲と彼の歌声に感動してしまったんですよね。
愛情と後悔を歌ったような歌詞を、彼が歌い上げることが、ぼくの心のどこかに触れてしまったんでしょうね。
この映画の中では、彼の人生が深く語られることはないんですけど、この歌によって彼の人生が間接的に語られているようで、その人生と歌詞とがシンクロしてしまうのかもしれませんね。
その他にも、何曲か挿入歌があるんですが、すべてが意味のある歌詞のように思います。
セリフといい、歌の歌詞といい、音楽といい、すべてが意味があり、すべてが彼を語るものとなっていて、とても素晴らしい映画だと思いました。
彼の人生は謎
彼ラッキーは、第2次世界大戦に海軍として出兵し、また結婚もせず子どももいない、ということ以外、彼の過去はほとんど謎のままです。
そして、非常に偏屈なおやじになってしまったかのようですが、おそらく彼はすべての人を愛しているんだろうとも思います。だからこそ、彼はみんなの中で慕われながら生きていけるんだろうと思います。
最後に、ふと彼の名前、「ラッキー」というのも何か意味があるのだろうか、と考えてしまいましたね(答えは分かりませんが・・・(^-^;))
とにかく、映画「ラッキー」は本当にいい映画でしたね~(*^^*)
偏屈おやじ映画の記事シリーズ2編です(笑)
ではまた~☕