小説『渚にて 人類最後の日』を読む。穏やかで、人間の尊厳を考える物語。
こんにちわ。
コロンボです。
小説『渚にて 人類最後の日」を読みました。
現在、世界の人口は70億人を超えていると言われています。
そんな人類が、最後の日を迎えることが明らかになった時、人は(あるいは僕たちは)どんなことを想い、どんな行動をとるのだろうか?
静かな気持ちで、その日を迎えることができるのか、人に、そして家族に優しく接することができるのか、それともパニックになってしまうのだろうか?
そんなことを、リアルに考えさせてくれる小説が、この『渚にて 人類最後の日』でした。
『渚にて』について
この小説は、イギリスの作家、ネヴィル・シュートによって1957年に書かれた、当時の近未来小説です。
ネヴィル・シュートという作家は日本ではあまり馴染みのない作家かもしれませんが(僕もこの作品で初めて知りました)、イギリスではかなり支持さていた作家のようです。
そして、この作品は1959年に、アメリカで映画化もされています。
ジャンルは、やはりSFでしょうね。近未来、と言っても舞台は1963年前後なので今からみれば過去になるんですが、その頃を描いた小説です。
テーマは、「人類最後の日」というサブタイトルからわかるように壮大ですが、物語は極々限られた人たちの、限られた日常を描く中で進行していくので、そこにリアルを感じることができますし、ある意味非常に親近感を持つことができる小説になっています。
ストーリー
物語の舞台は、1963年頃のオーストラリア。1961年に第3次世界大戦が勃発し、核による放射能により、北半球が全滅した世界。唯一にして最後の砦となった南半球のオーストラリアで生き残った人たちが、放射能前線の到来を恐れながら、自らの使命や愛に生きる姿を浮き彫りにします。
淡々と描くところにリアリティーがある
この物語は、登場人物も少なく、本当に一握りの人たちが最後を迎えるまでの日常を、淡々と描いています。
人々は、パニックに陥ることなく、それでも心のどこかでは未来を信じて生きています。そして、深い心象描写を書くのではなく、あえて人々が静かに生きているということを、何気ない描写で客観的に書いています。そのことが、かえってリアリティーを生んでいるのです。
そんな何気ない日々を、しかし最後の日を常に胸に抱いているために、未来を語りながらも実は今を懸命に、そして濃密に生きようとする、そんな人々の気持ちが痛いくらいによくわかるんです。
読みながら、最後の日が近づいているのに、みんななんてのんきに過ごしているんだろう、と正直思います。
でも、そんな普段と変わらない日常の描写を丁寧に積み重ねていくからこそ、知らず知らずのうちに物語に感情移入していくんだと思います。
そしていよいよ最後の日がやってくる。
現実が迫り、人々はその現実をどのように受け入れるのか。この小説では、ひとつの答えを与えてくれていると思います。
おわりに
小説は、非常に穏やかに時間が流れていきます。しかし、その穏やかさは、あくまでも偽りの穏やかさであることがわかるだけに、とても切なくて、やりきれなくなってしまうんです。
そして、登場人物がとても愛おしく思えてくるんです。
自分なら、こんな状況になった時、どうするのだろうか?と考えてしまいます。この物語のように、やはり家族や愛する人のもとで、穏やかに過ごしたい、と考えるのかもしれません。
自分が本当に愛しく想っているものは何なのか、そして人間の尊厳とはどういうものなのか・・・そんなことを考えさせてくれる、とてもいい小説でした。
では☕
『渚にて 人類最後の日』
著者 ネヴィル・シュート
出版社 東京創元社
ジャンル SF 近未来
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