映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』~本当に求めていたのは人としての尊厳
こんにちわ。
コロンボです。
2020年、最初の映画ブログで取り上げる映画は、ケン・ローチ監督の作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』です。
基本情報
- 邦題 わたしは、ダニエル・ブレイク
- 原題 I, Daniel Blake
- 製作 2016年 イギリス、フランス、ベルギー
- 監督 ケン・ローチ
- キャスト デイヴ・ジョーンズ
- ジャンル 社会、ヒューマンドラマ
ストーリー
心臓病で大工の仕事を医者からドクターストップを受けた主人公ダニエル。仕事ができない条件で支給される支援手当は審査に落っこち、また仕事を止められている身では求職者手当を受けることができない。イギリスの社会保障の制度のはざまで、まるで社会不適合者のように扱われながら施しを受ける彼と、その中で知り合ったケイティの家族。そんな彼らの生き様を、哀愁とコメディータッチで絶妙に描いた作品。
感想等
この映画、彼らは役所の制度にいいように振り回され、かつ規則によってはじき出されて生きるすべを見出せない。
一見、役所仕事が悪いんだ、というだけのメッセージにもとれるが、そんな浅い内容ではないようにも思える。
イギリスにおける根本的な雇用施策、それからホワイトカラーとブルーカラーの階級的な世界をも反映させているのかもしれない。
心臓発作で仕事ができなくなったダニエルは、権力には媚びないが隣人には優しく接する、というのが信条の大工。
彼が、同じように仕事にあぶれ、生活もままならず、かつ役所からの手当てを受けられない、というケイティ一家(母と幼い子供2人)と出会い、彼らを助けたことをきっかけに交流を深めていく。
イギリスの社会保障は日本に比べて、そう悪くないと感じていたのだが、実際はどうなのだろうか? 生活保護も確かあったはずだ(ハリーポッターの作者、J.K.ローリングも確かイギリスで生活保護を受けていた)。
しかし、この映画に描かれている現状も、確かにイギリスのもう一つの暗い面なのだろう。
生きるためには、自らの自尊心を捨て、役所や規則の言いなりになり、まるで十把ひとからげの存在として施しを受け、なおかつ誤解を恐れずに言うと、犬ころのような扱いまで受ける始末。
そんな中、ついに堪忍袋の緒が切れたダニエルは、公的な支援を断り、そして行動に移すのだった。
おわりに
どこの国にも、役所としての仕事や、規則がある、しかし、それを根拠として生活に困っている人たちをぞんざいに扱う権利など、誰にもない。
人は、それぞれ権利を持っているんだし、尊厳をなくしては生きていけないものである。
本当に必要な時には、暖かい施しは必要であるだろうけど、それは人として、一市民としてきちんと対応してこその施しでなければならない。
この映画は、そんなことを考えさせてくれる映画でした。
そして、最後の独白?は、短いけれど彼のすべての想いが込められているんだと思います。
タイトルにもなっている、「I, Daniel Blake」!!
そして「My name is Daniel Blake」!!
には、そんな深くて強い想いが込められているのだ!!
おまけ
ケン・ローチという監督は、パルム・ドール賞などのカンヌ映画祭の常連のイングランド出身の映画監督で、労働者階級や移民、貧困問題などを取り扱った作品が多いとのこと。
ただ、作風にはどこかコメディータッチな部分を持たせている作品が多く、前々から観たいと思っていた監督のひとりだ。
中でも、『天使の分け前』という作品を観たいと思っている。
とか言いながら、彼の監督作品を観るのは今回が初めてで、今後このほかにも(天使の分け前も含めて)彼の作品を観てみたいと思うようになりましたね。
ではまた~☕