心が疲弊してしまった時からの回復について
こんにちわ。
コロンボです。
最近、仕事で新しいことをするというのでバタバタと試行錯誤しながらやっていたんですが、最後の詰めの段階になって、全体への周知がおろそかになってしまっていて、結果的にミスをしたという形になってしまいました。
そしてその事態の収拾の仕方に悩んだり、対応に苦慮したりしていたんですが、その間にかなり気持ちが疲弊してしまっていました。
ぼくはいろいろと悩んだりしますけど、最終的にはどこか楽観的なところがあるのではないかというように思っているんですが、今回はなかなか気持ちが回復しませんでした。
精神的に疲れるとどうなるのか?
ぼくの場合なんですが、精神的に疲れると、なんにもやる気がなくなってしまいます。心が疲れるのと同時に体も疲れたような感じになってしまうのです。
心と体はつながっているということなんでしょうか。
通勤電車の中でも、本も読めずにひたすら眠る、というような行動をとりがちになってしまいます。
回復には何が良いのか、今回分かったこと
しっかりと睡眠をとることは大事です。眠る行為というのは、体力も回復させますが、眠っている間に頭の中を整理するという作用もあるので重要です。
現に、1日寝ればある程度気分が回復することも多いと思います。
あるいは、ぼくの場合、本を読むことで回復することもあります。あまりにしんどければ本も読みたくなくなるんですけど、それでも無理やりにでも本を読むのです。そうすると、次第に気持ちが本の方に入り込んでいき、辛いことを追いやってくれるのです。
今回は少し違いました
今回は、少し違いました。1日寝てもまだ精神的にはかなり参ったまま回復しませんでした。仕事のことを思うと、胸がきゅっと締め付けられるような感じがしてしまいます。
本を読めば、その時は忘れているんですが、その間でも辛い原因のことが頭の片隅には存在して、ふとした拍子に心の表面に浮かび上がってくるのです。
そして、追い打ちをかけるように、また別の問題が持ち上がってきたのです。それは、チャレンジしていたことの結果がよくなかったという通知が来たことです。
その時には、なんでやねん!、と半分やけになってしまったりもしましたね。
1つのことばかりにとらわれることは禁物
でも、結果的にはこの追い打ちの問題がかえっていい解決になったのです。(この問題が自分の興味のある問題だったということも良かったのかもしれません)
そちらの解決法を考えているうちに、なんだか仕事の方のもやもやが自分の中で小さくなっていき、それほどたいした問題ではないように思えてきたんです。
そして、後から出てきた問題にたいしてもう一度チャレンジを頑張ろう!と気持ちを切り替えられた時には、逆に気分が高ぶった状態になっていました。
ひとつのことばかりにぐるぐると考えをめぐらすことは、時には、問題が解決するどころか、かえって自分を苦しめ、深みにはまっていくはめになるのかもしれません。
そういう時には、なにか別のことに気持ちを集中して、つらい気持ちを分散させるということも大事なんだな、と感じました。
そして、いったん自分の中で問題が小さく感じられるようになると、気持ちが解放されたようになるのか、悩みに対していろんなポジティブなアイデアが浮かんできたりもするものです。
何が言いたいのかというと
結局のところ何が言いたいのかというと、どんなに悩み事が大きくて、耐えられないくらい辛いことだったと思えたとしても、
別の問題が持ち上がれば、それが自分の中で小さくなっていくとうことは、
実はそれほど大きな問題ではなかったのだ、ということが多いのではないか、ということです(もちろんそんな簡単でないことも多いでしょうが)。
考えても悩んでも解決しない問題を、いつまでもくよくよと考え続けることは、その分だけ時間を浪費しているともいえます。
そんな時は、(言うは易しかもしれませんが)無理やりにでも何か自分の好きなことなどに没頭して、さっさと気持ちを切り替えることが得策なのではないか、と思うのです。
最後に
別の問題が発生したおかげで、今回は仕事上で抱えている悩みはかなり小さくなりました。とはいえ、全くなくなったというのではもちろんありません。問題は解決していないのですから。
しかし、ポジティブな気持ちになれたことで、一定の解決方法は考えられましたし、あとはそれをとりあえずやってみるしかない、という、ある種開き直りのような気持ちになれました。
ま、悩むのも大事なことではあるのですが、それにとらわれすぎて気持ちがしんどくならないよう、できるだけ自分でコントロールできるようにしていきたいものですね。
では。
コーヒーを飲もう。